東日本大震災から半年が経った今月中ごろ、2泊3日で災害復興ボランティアへ行ってきました。出向いた先は岩手県陸前高田市です。
活動を行う朝、陸前高田市のボランティアセンターへ行き、受付を済ませると、その後作業が割り振られます。作業をしに伺ったのは、広田町というところで、町が半島の形をしており両側から津波が押し寄せてきて孤立してしまった場所であるとのことでした。しばらく救助は来ないであろうことを悟った住民の方々は、あるだけの食糧をかき集め、助かった人たちで、食べ物を分け、救助が来るまで力を合わせていたのだそうです。この地域は日頃から地域コミュニティーができており、結束が固かったのだとか。
ボランティアセンターから車で約40分。広田町につくまでの間、壊れた建物、壊れた車、瓦礫の山・・・それらを見ていると、爆撃を受けた後のようにしか見えなかったのです。きれいに広がる青空とのコントラストが、何とも言えない不思議な感覚にさせました。
現地に到着すると、町だったことが信じられないくらいに何もなくて、重機が作業をする音以外はとても静かでした。作業は、倒壊して基礎だけになってしまった民家の片づけと、畑にする予定の土地の整備。土をならしながら、その中から家財道具であったろうさまざまな破片が出てきました。
割れたガラス、お皿、カレーパンマンの絵柄の茶碗、シャンプーのポンプ、お菓子の袋・・・。
そういったものを土嚢にまとめながら、私たちとなんら変わりのない人たちが、私たちとなんら変わらない日常生活を送っていた場所なのだということが身に染みて理解できました。土の中からは、お骨が出てきたこともあり、それは人のものか、動物のものかはわからなかったですが、不思議とそのお骨にいとおしさの感情まで生まれてきました。その後、お骨は警察の方に引き取られていきました。
暑い日だったので、依頼者のおじぃちゃんが飲み物を差し入れてくれました。そればかりか、ボランティアの人たちに休憩してもらおうと、手作りのテントまで作っていてくれたのです。
「暑いから無理しないでね。無理して具合悪くすると、あんたの大事な人が心配するからね」
と、かけてくれた言葉には、深い愛情と同時に大きな重みを感じました。
おじぃちゃんは「この町は、広い砂浜が広がっていて、夏になると海水浴客で大賑わいでね、おれも浜茶屋やってたんだけど、こんなになっちゃって・・・」と言いながらも、日に焼けた顔からは生命力にあふれた笑顔がこぼれていました。とても素敵な笑顔だったのが忘れられません。「昔みたいにきれいな海水浴場が戻ってきたら、また来てくださいね」と、言いながらおじぃちゃんは見送ってくれた。
作業中、終始悲しみを強く感じることはなくて、むしろ前向きな力を受け取ったと思っています。作業しに行った私自身、大きな力をもらってきたような感じです。
しかし、涙が出そうになったことが一つだけ。
瓦礫の中に古いドーナツ盤のレコードが混じっていました。手に取り土を払ってみると、八神純子の「思い出は美しすぎて」だったのです。
まだまだ人の手は継続的に必要です。自分の力は微力ですが、また足を運ぼうと心に決めました。
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自分も初めてボランティアに参加した時、被害の凄さと地元の人の明るさに驚きました。
辛いはずなのにそんな事顔に出さず前向きに復興に向けて頑張っている姿を見て、元気になって欲しくてボランティアに参加したのに逆にそれ以上の元気を貰いました。
自分も久しぶりに来週末また宮城県へボランティアに行って元気貰ってきます。
そのうち、どこかのボランティアセンター等でお逢いするかもしれませんね。
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>たらこハンドさん
被害の凄さと地元の人の明るさ。まさに、そのコントラストに驚きですよね。私も、逆にイロイロなものをもらったと思っています。ホント、どこかでお逢いするかもしれませんね。とりあえず、お気をつけて!!
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被災地に行かれたんですね。
私も初めて行った時は逆にパワーをもらいました。
何が自分に一番出来る事なのかといろいろと考えさせられる日々でもあります。
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>JOJOさん
JOJOさんも行かれてますもんね。びっくりするくらいに生命力を感じてきました。
あれから私もいろいろ考えています。