地震が発生してから10日以上が経過しました。この10数日間が長く感じられました。日本中の人たち一人ひとりが少なからず、色々なことを考えさせられたのではないかと思います。そして、これからも色々考えていくことになるでしょう。
私も色々考える中、特に「死」という存在について考えました。
幼少のころ、記憶は無いにせよ、火事で死にかかった経験からか、死については物心ついてから今まで、ずっと身近に考えてきました。子どもの頃は、その存在が恐くて、考えては眠れないことも沢山ありましたが、大人になるにつれて、その恐怖は薄くなってきたように思います。それはきっと死に向かって、色々準備ができるようになったからではないかという話を、最近親しい知人としました(別に意識して準備しているわけではないけど、きっとそうなんでしょう)。
どんな形であれ、どんな人にでも必ず訪れるもの。こうしている間も確実にそこへ向かっている。けど、全然暗い気持にならず、だからこそ、今を楽しみ、精一杯生きることができるのだと思うし、精一杯生命を謳歌し、輝いて、一人ひとりが光になることができる。それってすごく素敵なことだなー。
表題は、カルロス・カスタネダの「呪師になる イクストランへの旅」という本の中に出てくるフレーズです。
メキシコ、ヤキインディアンのシャーマンに弟子入りした著者(カスタネダ)が、様々な体験を経て一人のシャーマンとなるまでの過程を追った本の中の一冊で、シャーマンであるドン・ファン・マトゥスがカスタネダに語ったことです。
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死はわしらの永遠の仲間だ
それはいつでもわしらの左側、腕をのばせばそどくようなところにいるんだ<省略>それはいままでずっとお前を見はっていたし、おまえをぽんとたたく日までずっとそうだろう
左を向いて自分の死にアドバイスを求めるんだ。もしおまえの死がおまえになにかのそぶりを見せるとか、おまえがそれをチラッと見るとか、あるいは自分の相手がそこで見つめているという感じをもちさえすれば、山ほどのとるに足らんことなどすぐに切り捨てられる
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カスタネダの本に関しては、まとめきれないので、ここでは詳しく書きませんが、わたしたちが知覚している世界は、数ある世界の見方のひとつに過ぎないということ、もうひとつの世界の存在について教えてくれた本でした。
そんなこんなブログを書きつつも、ウチの燗吉(下の写真2枚)はいつも「遊んでくれー」と言わんばかりに目の前でゴロンゴロンしながら、こちらを見てゴニョゴニョ独り言。なんとまぁ癒されるわー。
チロリも甘えん坊なんですが、ちょっと神経質で繊細なコなんです(下の写真はチロリ。寝ていたのに近づいたら目を開けた。オモシロい顔!)。